地中海はこの世の天国。青い空、青い海、底抜けに美味しい空気…
このブログのヘッダーの写真は、コルシカ島最南端の町「ボニファッチオ」です。
断崖絶壁の上にへばりつく数世紀を経た家並みの光景は、まさに絶景。
島というよりは、地中海にいきなり屹立する高山。
最高峰は2500メートルで、西側の海岸はそのまま深さ1200メートル以上。
つまり。高低差が4000メートル近くも亜るんだそうです。
そして、海岸を離れて内側に入ると、直ちに山道。
山里がとても情緒があります。
ところで、フランス語では『コルス』というこの島は(コルシカ人もコルスと言います)紀元前のフェニキアから始まって、カルタゴ、ローマ、ヴァンダル族、東ゴート族、アレクサンドリアの海賊、ムーア人、ピサ、ジェノヴァと、18世紀後半まで<外国人>に支配されてきたので、島の人たちは非常に「我がコルシカ」への帰属意識が強くて、今でも彼らはフランス人である以前に『コルシカ人』なのです。
1760年初頭、あまりに独立運動が続きすぎて手を焼いたジェノヴァ共和国が、島をルイ15世に売却して、スランス領になりました。
その直前、島の有力な豪族パオリ家の頭領「パスカル・パオリ」の働きで『自由コルシカ共和国』を宣言しました。
その時の首都が下の写真「コルテ」でした。
(コルテの旧城塞)
何世代にも及んだコルシカ独立運動のリーダーだった、島の有力3家系の一つが、ブオナパルテ(ボナパルト)家です。
島の中央部西海岸の町「アジャクシオ」にナポレオンの生家があります。
日曜日のミサに参列していた母君は、ミサの途中に産気づき必死で邸まで戻って、2階の自分の寝室に辿り着く直前、隣の控えの間でナポレオンを産み落としてしまったそうです。
(ナポレオンの母君の寝室)
(ナポレオンが生まれた部屋)
島内では、ナボーレ(ナポレオン)・ブオナパルテ(ボナパルト)派と、独立宣言をしたパスカル・パオリ派と、人気は真っ二つに分かれます。
中世から近世にかけては、有力家系同士の抗争も激しかったとか。
島全体が潅木と野草に覆われ、その多くが果樹とハーブなのです。
町を出て深呼吸すると、誇張なく、ターメリックやヴァニラ、野生のにんにく、仏手柑やイチジク、ラズベリーやカシス(黒すぐり)の香りが胸の中に染み渡ってきます。
そんなハーブと果樹の茂みを、地元の言葉で「マキ」と言います。
海からすぐ山。
(ノンザ村)
仲間を裏切った山賊は海岸の村に逃げ込み、仲間に終われる海賊はマキの茂みに身を隠した…。
エジプト遠征からフランスに帰る船上で「おお。私は故郷のすぐ近くにいる。私にはわかるのだ」と、ナポレオンが言ったセリフは有名です。
50キロ沖合でも、マキの香りは海上に風で運ばれて来るのだとか。
(アジャクシオにある騎馬の皇帝ナポレオン像)
山と海。
山には夏の間牛や豚、ヤギが放牧されます。
冬になると山から降ろされて、農家の飼育場に入るのです。
放牧中の豚が、野生のイノシシと自然交配します。
その交配してできた「イノブタ」が野生化してしまう場合と、農家に連れ帰られる場合とが出てきます。
従って、コルシカの山の幸は実に豊富。
イノシシのドライソーセージ。
野生化したイノブタのドライソーセージ。
家畜化したイノブタのドライソーセージ。
そして豚のソーセージ。
もちろんお肉も様々に料理されます。
(山道を自由に歩き回っているイノブタ)
海産物もとっても豊か。
その中でも特筆されるのが「オマール」です。
(オマール海老と伊勢海老)
その海老を「裏の斜面」で毟ってきた「マキ」で燻したら、馥郁たる香りで天国のような美味なのですよ。
(オマールのマキ燻し焼き)
煙をあげながら運ばれて来る銀皿に、まだ少し燃え残ってマキが残っています。
コルシカには遺跡もたくさん。
古代ローマの町の後もありますが、石器時代の要塞集合住宅跡が、小高い丘のてっぺんに残っています。
(要塞集合住宅跡)
かなり大規模なもので、地中海世界全域に見られる「から積み」(漆喰雨やセメントの目地のない)の特徴が明らかです。
それから、南イングランドや仏ブルターニュに見られる「巨石列柱文化」の遺跡もあります。
(メンヒル三姉妹)
万年雪の高山もあり、岩清水の奔流もあり、登山もよし。
人工の建造物が全くない「野生の海岸」があちこちにあって、ビーチで透明な波と戯れるもよし。
(断崖の上から見下ろした透明なブルー)
次の世代もちゃんと育っています。
(山あいの村でであったコルス・ジュニア)
みなさん、行ってみたいでしょ!?
次は、どこをご案内しようかな。。。