子供達は天使だと思う。。。
街を歩けば、子供達がいる。
どこの土地だろうと、子供は世界の中心にいます。
大人の計算も、エゴも、テライも、ケレンもない。
単純に、見えている範囲が世界で、自分の感性のままに生きています。
どこの土地だろうと、無邪気な子供がいて、そんな子供達にレンズを向けるのは気が引けますが。
でも、写さない手はない。
近くにご家族がいれば、承諾を得る事は忘れずに。。。
「こっち、向きなよ」
(サン・ジャン・ピエ・ド・ポールの二人組)
フランス南西部、ピレネー山脈の足元の起伏の多いバスク地方の一角に『サン・ジャン・ピエ・ド・ポール』という古い町があります。
北西スペインの聖地「サン・チヤーゴ・デ・コンポステーラ」への巡礼者たちが、スペインに入る前の最後のフランスの札所の町なんです。
「ほら。僕たちも、巡礼にいくんだ!」
(小さな二人の巡礼者)
結局、この二人は「離れられない」お友達。
そのバスクよりはもう少し内側、昔は陸の孤島と呼ばれた深奥部「ペリゴール地方」は、多くの中世の城と、ネアンデルタール人やクロマニヨン人の遺構があり、フォア・グラを作っています。
そのペリゴールにある『サルラ・ラ・カネダ』という町は、中世領主の時代の旧市街がエキゾチックで、フォア・グラの取引が行われます。
そこで出会った『ガチョウに乗る姉弟』を見つけました。
(ガチョウに乗る姉弟)
所変わって。
北部ポルトガルの町『ヴィアーナ・デ・カステーロ』は、ちょうどお祭りのようでした。
(仮装をしたヴィアーナの子供達)
みんなそれぞれ好きな仮装で嬉しそう。
スーパーマンもお姫様も。
仮装といえば、フランスの小学校の「学園祭」は、学年ごと、クラスごとに出し物を決めて、5分間ぐらいの演目を舞台で演じます。
ミュージカル風あり、昔話風もあり。
(パリのとある小学校の学園祭 1)
海賊に、公爵に、騎士団に、道化に貴婦人に。。。。
(パリのとある小学校の学園祭 2)
こちらは、どうやら全員が女の子たちみたい。
可愛いったらありゃしませんね。
でも、世界は西欧だけではありません。
モロッコ王国の『フェズ』という古い町の旧市街。
迷路みたいな小道を歩いていたら、子供の声が聞こえてきて。
細く開いていた扉の中を覗いたら、なんとそこは教室。
(モロッコのフェズの小学校の教室)
小さな教室のようですが(覗き込む訳にはいきませんものね)ぎゅうぎゅう詰めの子供達が、熱心にお勉強中でした。
モロッコは、いく先々子供達がたくさんいます。
少子高齢化など、関係ない世界です。
アフリカのもっと奥地。
赤道近くの西アフリカ『ベナン共和国』にも、どこにいっても子供達に取り囲まれました。
(ベナンの町コトヌーの小学生たち)
それぞれの学校で「制服」のシャツの色が違うんです。
女の子の「ちょんちょこりん」の髪飾りが、とっても可愛かった。
(ちょんちょこりん 1)
(ちょんちょこりん 2)
子供といえども、騒いでばかりではありませんよ。
妹の世話をするチャド共和国の、チャド湖岸の町『カラル』の女の子。
(チャドの姉妹)
ついでに、さらに近くの『カメルーン共和国』にも行ってみましょう。
280位あるかっての土豪国の一つ『イドール王国』の子供達。
(イドール王国(カメルーン共和国の一部)の子供達)
女の子たちは、とってもおしゃれ。
世界中一緒ですね。
最後に、またフランスにもどってパリ近郊の乗馬クラブにて。
(パリ近郊の乗馬クラブ)
おチビさんたちは、「シェットランド種」という小型馬でレッスンです。
可愛いでしょ!
夜景の魅力はパリだけではありません
昨日に続いて、パリ以外の夜景を訪ねてみましょう。
パリからほんの少しだけ郊外に行くと、ヨーロッパの頂点を極めた宮廷があった『ヴェルサイユ宮』があります。
宮殿前広場に、半月に見守られる様にして「ルイ太陽王」の騎馬像が、静かな夜の空気を睥睨していました。
(ベルニーニ作、ルイ大王騎馬像)
ヴェルサイユの街は、パリの西側に10キロ。
そのまま西にいけばノルマンディー地方にいたり、英仏海峡です。
セーヌ河に二分され、右岸(東)の上ノルマンディーの首都はルーアン。
旧市街には、美しい「木造建築」が多数残っています。
(ルーアン旧市街)
ノルマンディーは、フランス東部のアルザス地方と並んで、伝統的に木造建築物です。
地盤が岩盤にまで形成されなかった石灰の地層(チョーク層)のため、建築用石材がなく、逆に森林地帯だったせいで材木には事欠かなかった。
その森は酪農に生かされ、牛を飼い、森を切り開いていった後も乳牛の生育で食べてきた。
したがって、全欧有数のミルクの大生産地で、そのミルクから作られる二次製品である、バターと生クリームとチーズの大生産地なのです。
ノルマンディーの四大チーズが『カマンベール』と『リヴァロ』と『ポン・レヴェック』と『ヌーシャテル』(数日前のスイスのヌーシャテルとは無関係)
(ポン・レヴェックの町の民家)
そのノルマンディー地方が世界に誇る人類の遺産が『モン・サン・ミッシェル』です。
西欧の驚異。
世界の八番目の不思議。
(ある年のモン・サン・ミッシェルのクリスマスの夜景)
何が「西欧の驚異」で「世界の八番目の不思議」なのかを語ると,数千字を要するので、別の機会に譲ります。
そのノルマンディの海岸の西半分が巨大な三角形の半島が海に突き出し、先端に『シェルブール』という港町があります。
半世紀前、売り出したばかりの新人女優「カトリーヌ・ドヌーヴ」を主役に『シェルブールの雨傘』という映画が、世界的に大ヒットしました。
ラストは涙無しには見られない、感動的な「フレンチ・ミュージカル」です。
そして、なんと今でも「シェルブールの雨傘」というブランドの傘があります!
(シェルブールの雨傘のお店)
上の写真は、「シェルブールの雨傘」というメーカーのショップです。
実際に映画の撮影で、ドヌーヴのお母さんがやっていた「傘屋さん」の建物は、ちょっとした案内所みたいになっていて、看板は「傘屋」のまま。
下の写真です。
(撮影の時の傘屋さんの建物)
(とある建物の外壁の装飾)
この辺で場所を大きく変えて、一気に地中海まで南下しましょう。
プロヴァンス地方の『アヴィニヨン』の街。
13世紀に7代のローマ法王が住んで「法王庁」が置かれていた古都です。
ローヌ河がゆったりと流れて、そこに歌にも歌われた「アヴィニヨンの橋」がかかっています。
河の中程までの、不完全な橋です。
(アヴィニヨンの橋)
🎶 はしのぉ〜 うえでぇ〜 おーどろよ おどろよ はしのーうえでえー わーになって おっどっろぉ〜 ♪
地中海といえば、海!
真夏は10時すぎないと暗くならない!
夜景といっても、地中海の開放的な夜の空気は、北のノルマンディーとは大違いで。。。
(夜の地中海)
南スペインはトレモリノスとマルベーリャの間あたりの海岸のホテルから、21時半頃。
南欧といえば、スペインと並んでイタリア。
イタリアといえばミラノ(とは言い切れませんが ^^ )
ミラノといえばドウオーモ(大聖堂)
(ミラノ大聖堂)
これは、ある年のクリスマスのイリュミネーションです。
ところで、ヨーロッパは大陸で、多くの国々が国境を接しています。
そして、どの国も民族の起源が違うのです。
民族の起源が違えば、当然価値観も風習も哲学も利害関係も違ってくるので、衝突も起きる。
今でも戦争の絶えない人間社会です。
昔は、衝突するとすぐ戦争でした。
戦争が起これば、陸続きの悲しさ、すぐさま責めたり責められたり。
そこで、ヨーロッパは中世以来村や町を「城壁」で囲って防御していました。
今でこそ、城壁にはロマンが漂いますが、昔は命の綱だったのです。
数多い城壁の写真の中で、一箇所、北スペイン「アヴィラ」の城壁の夜景をお届けしましょう。
(アヴィラの城壁)
いつか、城壁めぐりの旅にお招きしましょう。
そして、なんの絡脈もなく、西アフリカ「カメルーン」のサバンナの夜景を一枚。
(サヴァンナの夜景)
ということで、二回に分けて「夜景」の点描をお届けしました。
しかし、私が一番好きな夜景は、実はこれです。
反則ですけどね(^^)
(ジョジュル・ド・ラ・トウール作『幼きイエスと聖ジョゼフ』)
17世紀前半の、フランスはロレーヌ地方の画家「ジョルジュ・ド・ラ・トウールの名作『幼きイエスと聖ジョセフ』
ルーブル美術館蔵。
父である大工ヨセフの仕事を、尊敬の眼差しで見つめる幼きイエスの表情の見事さ。
父の手元を照らすロウソクの炎を風からまもるイエスの左手を「透かして」灯が。。。
なんという透明感!
このような美しい夜景が、他にあるだろうか。。。
パリの夜景は一味違う。。。
夜景。
ロマンチックだったり。
うら寂しかったり。
オドロオドロしかったり。
心に染み入る情感だったり。。。
どう見えるか、どう感じるかは、その時の心の在り方しだい。
(我が家の窓から)
手足の体毛が伸びはじめ、耳が尖ってきて、胸のボタンが弾けて、ウオオーンと叫び出しそうでしょ(^^)
ところで、パリの構造上の中心で空間の美の極みが、コンコルド広場。
(コンコルド広場1)
イタリアの歴史学者でジャーナリストのモンタネッリが、シエナのカンポ広場をして「ここは単なる広場ではない。一つの宇宙だ」と言った。
それに習うなら、パリのコンコルド広場は「そこは一つの銀河だ」と、言っても過言ではないと思うのです。
(コンコルド広場2)
さらには。
パリと言えばオペラ座。
モスクワのボリショイ劇場と、サンクト・ペテルスブルグのマーリンスキー劇場と並んで、世界の三大劇場と言われます。
(オペラ座ガルニエ宮)
内部の素晴らしさは、ため息物ですが、それはまた別の機会に譲りましょう。
そして、ヴァンドーム広場も欠かせない。
古い写真で粒子が粗いですが、お許しを。
(ヴァンドーム広場)
最高級のホテルと、世界に冠たる高級宝石店が軒を連ねる広場は、パリの他の場所と違って歩道と車道の段差がなく、白御影石で葺いてあるので、昼間の広場もとても明るく輝いて見えます。
ここですこし変わった夜景を。
EUを記念して、EUのシンボルカラーにライト・アップされたマドレーヌ教会。
(マドレーヌ教会)
そして、パリの定番といえば。。。
フランス人以外の世界中の人たちが、パリの代表的シンボルと思い浮かべる、ナンバー1がエッフェル塔なのですね。
まず通常の夜景。
(エッフェル塔1)
それから、点滅。
毎時5分間だけ22000灯のハロゲン電球が点滅します。
(エッフェル塔2)
さらにエッフェル塔に次いで、世界中の人たちがパリと聞いて思い浮かべる記念物<その2>が、凱旋門。
(2024年オリンピック招致の凱旋門)
パリは2024年のオリンピックに立候補しています。
そのキャンペーンで照明された『エトワールの凱旋門』
ちなみに、パリで凱旋門と言うと四つ有ります。
それぞれ、曰く因縁も呼び名も違います。
そしてパリの発祥の地に、500年間にわたって欧州の大半に広がった文化「ゴシック」を生み出す雛形となった『ノートル・ダム大聖堂』が、フランス国土の中心「道路元標」として君臨します。
遠景をセーヌとともに。
(セーヌ川とノートル・ダム大聖堂)
極め付けに機内から撮った一枚を。
エッフェル塔が点滅中!
でも。
夜景の素晴らしさは、当然ながらパリだけではありません。。。
パリを少し歩けば…クラッシック・カーが、あちらにもこちらにも。
クラシック・カーといえば、一部の人たちにとっては憧れの的。
趣味の対象だったり。
投資の対象だったり。
しかし、決して博物館アイテムというわけではありません。
常日頃綿密に整備していて、何かの時には実際に表に出てくるのです、宝石のごとき高価な愛車に乗って。
モンテーニュ大通りの宝石屋さんの前に止まってたこの車。
馬の付いていない馬車という時代の風情ですが、現役なんですよね。
アルセーヌ・ルパンが、シャーロック・ホームズ を上手く撒いて、颯爽と降りてくるような風情です。
別のところでは、こんな車も。
(ブガッティ)
当時は、お城が一つ買えるくらいの金額だった『ブガッティー』
フィリップ・ド・ロッチルドや、ジャン・コクトーが初期のフォーミュラー1のレースに参加したのも、ブガッティでした。
このタイプなら、今でも競売に出たとしたら億ションより高価かもしれません。
世界中の自動車博物館が競ってオファーするでしょう。
でも、現役。
で、この手になると、すでに「クラシック」じゃない、と言われそう。
しかし、これまでの先輩たちより少し若いけれど、戦前の大スターなんです。
(デライエ)
戦後の名スポーツ・カーも。
(AC コブラ)
レプリカではなく「本物」の ACコブラ!
気候の良い季節になると、こんなモンスターを持ち出して外を走る酔人がいるんです。
万一壊れたら、部品代だけでえらい事で。。。
さらには。
70年代のレース界を席巻したポルシェ。
ガルイウングのドアを、運転手側だけ開けてるのがなんともにくい。
もちろん、信号停止で開けているだけで、走行中は閉めていましたので、ご安心を。
クラシック・カーといっても、なにも巨万の富を必要とするものばかりではありません。
当時は大衆車だったような40年前の車を、自分で分解して部品の一つ一つまで磨き上げて組み立て直し、大切に持ってる人たちはたくさんいます。
そして、乗り合いバスまで。
RATP(パリ交通公団)の50年前の路線バス。
公団は、こういうのを数十台保存していて、年に何回か実際に路線に走らせたり、特別ルートでお客を載せたりしています。
しかも、後部はデッキになってる。
このタイプは、後部デッキから乗客が乗り降りします。
最後におまけ。
これは、シャンゼリゼ通りのロータリーに出てるアイスクリーム屋さん。
建物でも、家具調度でも、機械や道具、さらには建造物など、どんな分野の物でも「古いもの」で未だに使えるものには、誰もが敬意を表します。
まっさらな、新しくて綺麗なもの、は金出せば誰でも買えるもんね。
昔の「本物」を、新品同様に保っていくことは、精神の美学の領域です。
アルプスの湖(スイス編)/ヌーシャテルの湖上ホテル
それでは、ヌーシャテル湖畔の一押しホテルを、ご紹介しちゃいましょう。
なんと、湖の上に「コンテナー」を張り出したような奇っ怪な外観。
(桟橋側からの外観)
入り口と反対側は、テラスになっていて湖側から見ると寝椅子があります。
(湖の側からの外観)
テラスの側の小窓は(左右にあり)ワーキング・ステーションになってます。
ドアの中に入ると、左のカーブの中はバスルーム。
奥のテラスが見えます。
(エントランスから奥を見る)
バスルームは、バスタブとシャワー・ブースは別。
(バスルーム)
そして、バスタブの横の「壁」は蛇腹になっていて、開けると部屋を通して湖まで見通せます。
(蛇腹を開けたところ)
写真では、逆光になって湖面は見えませんが…。
部屋側からはバスルームの蛇腹壁は、ベッドのヘッドボードの側になります。
(ベッドと蛇腹壁)
部屋からテラス越しに湖面が見晴らせます。
右の小窓の位置が、ワーキング・ステーション。
(部屋から湖を望む)
右のワーキング・ステーションはパソコンが。
(ワーキング・ステーション)
反対側の小窓前は、ライティング・デスクその他があります。
(テラス)
テラスのデッキ・チェアーで日が沈むまでウトウト微睡むのが最高。
推理小説の文庫本が必携ですね。
目の下には「オンブル・シェヴァリエ」か「フェラ」が泳いでいます。
どちらも、アルプスの湖の美味。
レストランは、陸側のフロントのある建物にあります。
(レストラン)
ディナーに、その日のセット・メニューを頼みました。
(アミューズ)
(アントレのタコのカルパッチオ)
(パスタはカニのラヴィオリとグリーン・アスパラ)
(メインのフェラ)
(デザート)
フランスの料理に比べると「粗雑感」があるものの、スイスにしては美味しいです。
レストランの湖側の外はテラスの席。
朝食は、そのテラスで頂きます。
ヴァイキングなので、好きなものを好きなだけ。
(朝食のテーブル)
目玉焼きを待っているところ。。。
そして、夜景がイケてます。
お目汚しでした。
アルプスは湖だらけ/スイス編
みなさん、スイスの湖といえば『レマン湖』だと思っていらっしゃるでしょうね。
それだけではありません。
『ヌーシャテル湖』という湖があります。
フランス・アルプスの風光明媚な避暑地アヌシーにある「アヌシー湖」に次いで、ヨーロッパで2番目に透明度が高いことで名高い湖です。
フランス、イタリア、スイスのアルプスの湖群のなかで、周囲に余り高い山が囲んでいない、以外と平らな土地にある湖という感じです。
(ヌーシャテル湖)
その湖えの北岸の町『ヌーシャテル』から16kmほど北東に行くと『ル・ランドロン』という小さな村があります。
中世当時の村のフォルムを、ほぼ忠実に保って今日に至っています。
(20世紀初頭の村の航空写真)
細長い「楕円形」の構造は、かって周囲が城壁であったことが想像できます。
両側に残っている昔の城門をくぐると、上の写真と同じフォルムであることがわかるように、並んでいる建物は緩やかな弧を描いています。
(城壁の内側に作られていた家並み)
(城門の一つ)
(城門のもう一つを村の内側から見る)
細長い楕円形の旧村落の中心線に沿って並木が作られて木陰を提供し、お約束の「泉」があります。
これまた「ゲルマン」の町のお約束で、泉の装飾コロンの上には、この村の領主とおぼしき騎士像が。
(村の泉と騎士の像)
左右のいえいえの一階部分には、アンティークのお店が数件と、2件ほどの小さなカフェ・レストランがあるだけ。
時計が止まったまま、数百年の時が過ぎていったような村で、夏の間恋シースンにもそれ程の観光客も訪れません。
静かに時の流れを味わって、自分の鼓動が聞こえるような、静かなひと時を過ごせます。
(城門をくぐって、外から村を振り返る)
すぐ近くには幹線道路があるにもかかわらず、周囲は畑で村の外観はこれはこれで「中世風」なのですが、それにしては少し「新しい」感じも受けます。
(ル・ランドロン村の外観)
ヌーシャテル湖の周囲は平らだとうはいっても、そこはそれスイスですから多少の起伏はあり、その斜面には『ヌーシャテル』という名前の白ワインを作る畑が、美しい傾斜を形作っており、湖面も遠望できます。
(斜面のワイン畑とヌーシャテル湖)
次回には、(気が向いたら)この湖の湖面に浮かぶホテルを、ご紹介しようかな。。。
ではまた。
咲き誇る花々の背景
欧州は、どこへ行っても町を一歩離れると、畑が広がり林や森が点在します。
そして、季節ごとに野の花々が路の路肩を彩り、畑にも花がみちゃ触れます。
そんな中、ふと車窓にお花で埋め尽くされた景色が広がっていたら、当然車を止めて、カメラを手に飛び出して撮影しないわけには行きませんよね。
5月は、一面菜の花。
英仏海峡沿いのノルマンディー地方は、南仏地中海沿いより花前線は1ヶ月遅くなりますが、5月の半ば『モン・サン・ミッシェル』の近くでたまたま「菜の花」の向こうに島が浮かび上がっていました。
(菜の花畑の向こうにそびえ立つ『西欧の驚異』)
6月はヒナゲシ。
フランス中央部を南北に二分して西に流れるフランス一の大河『ロワール』の沿道も、路肩に自生する可憐な赤いヒナゲシで路の両側が赤く染まります。
お隣のスペインは、さすがに「ピレネーを越えるとそこはアフリカ」とナポレオンが言い放ったとうり、太陽の光の量がフランスよりもはるかに強いので、同じヒナゲシでも少し濃いめの赤になってました。
マドリードの北に60キロほどで『セゴヴィア』という街があります。
ディズニーの白雪姫のお城のモデルになった、と言われるアルカサール(城)と、完璧な形で残る古代ローマの『水道橋』があることで有名です。
普通マドリから行くことが多いので、セゴヴィアの南から入っていきますが、スペインの北から南下してセゴヴィアの直前で、真っ赤なヒナゲシが咲き誇っていました。
早速写真に収めようと車を降りたら、背後にセゴヴィアのカテドラルが聳えていました。
(セギヴィアの北側の町外れから、満開のヒナゲシと大聖堂)
同じ6月、地中海岸の『プロヴァンス』地方では、「ラヴェンダー」が咲き始めます。
野生のラヴェンダーは、標高700メートルあたりに咲くのですが、平地では畑で栽培し、いずれも7月が最盛期。
『ゴルド』という典型的な、丘の頂きにへばりつく「鷹ノ巣」のような村のすぐ近くに『セナンク第修道院』という修道院があり、未だに修道僧たちが畑でラヴェンダーを栽培し、ポプリや石鹸などを作って財政の助けにしています。
6月では、まだちょっと早かったので、満開とはいかなかったのですが、すでに紫の穂先を広げていました。
(セナンク第修道院のラヴェンダーの畑)
7月から8月にかけてはヒマワリ。
フランスでも高速道路沿いに、延々と見渡す限りのヒマワリ畑が次々に現れます。
すでに7月には南仏で、中央部は8月、北フランスは9月になっても、という具合にヒマワリ前線も北上します。
先述のスペインは、8月はもう時期を過ぎてしまったか、と思ったのですが、ちゃんと咲いていました。
北西部『カタルーニャ』のジローナ(ヘローナ)の近くの小さな村に、サルヴァドール・ダリが暮らしたお城があります。
中は、ダリが生前に暮らしたそのままが見られて、あの鬼才のセンスを堪能できるのです。
そのお城のある『プウボル』村の教会の下にヒマワリ畑がありました。
ダリのお城は、教会の右側の木立の奥にその堂々たる姿を隠しています。
(ヒマワリ畑沿いにプウボル村の教会を見晴らす)
4月には、ロワール河流域の『古城地帯』のあちこちが「藤」の花で覆われた建物を見ることができます。
お花の時期に、ぜひヨーロッパを訪れましょう。
地中海はこの世の天国。青い空、青い海、底抜けに美味しい空気…
このブログのヘッダーの写真は、コルシカ島最南端の町「ボニファッチオ」です。
断崖絶壁の上にへばりつく数世紀を経た家並みの光景は、まさに絶景。
島というよりは、地中海にいきなり屹立する高山。
最高峰は2500メートルで、西側の海岸はそのまま深さ1200メートル以上。
つまり。高低差が4000メートル近くも亜るんだそうです。
そして、海岸を離れて内側に入ると、直ちに山道。
山里がとても情緒があります。
ところで、フランス語では『コルス』というこの島は(コルシカ人もコルスと言います)紀元前のフェニキアから始まって、カルタゴ、ローマ、ヴァンダル族、東ゴート族、アレクサンドリアの海賊、ムーア人、ピサ、ジェノヴァと、18世紀後半まで<外国人>に支配されてきたので、島の人たちは非常に「我がコルシカ」への帰属意識が強くて、今でも彼らはフランス人である以前に『コルシカ人』なのです。
1760年初頭、あまりに独立運動が続きすぎて手を焼いたジェノヴァ共和国が、島をルイ15世に売却して、スランス領になりました。
その直前、島の有力な豪族パオリ家の頭領「パスカル・パオリ」の働きで『自由コルシカ共和国』を宣言しました。
その時の首都が下の写真「コルテ」でした。
(コルテの旧城塞)
何世代にも及んだコルシカ独立運動のリーダーだった、島の有力3家系の一つが、ブオナパルテ(ボナパルト)家です。
島の中央部西海岸の町「アジャクシオ」にナポレオンの生家があります。
日曜日のミサに参列していた母君は、ミサの途中に産気づき必死で邸まで戻って、2階の自分の寝室に辿り着く直前、隣の控えの間でナポレオンを産み落としてしまったそうです。
(ナポレオンの母君の寝室)
(ナポレオンが生まれた部屋)
島内では、ナボーレ(ナポレオン)・ブオナパルテ(ボナパルト)派と、独立宣言をしたパスカル・パオリ派と、人気は真っ二つに分かれます。
中世から近世にかけては、有力家系同士の抗争も激しかったとか。
島全体が潅木と野草に覆われ、その多くが果樹とハーブなのです。
町を出て深呼吸すると、誇張なく、ターメリックやヴァニラ、野生のにんにく、仏手柑やイチジク、ラズベリーやカシス(黒すぐり)の香りが胸の中に染み渡ってきます。
そんなハーブと果樹の茂みを、地元の言葉で「マキ」と言います。
海からすぐ山。
(ノンザ村)
仲間を裏切った山賊は海岸の村に逃げ込み、仲間に終われる海賊はマキの茂みに身を隠した…。
エジプト遠征からフランスに帰る船上で「おお。私は故郷のすぐ近くにいる。私にはわかるのだ」と、ナポレオンが言ったセリフは有名です。
50キロ沖合でも、マキの香りは海上に風で運ばれて来るのだとか。
(アジャクシオにある騎馬の皇帝ナポレオン像)
山と海。
山には夏の間牛や豚、ヤギが放牧されます。
冬になると山から降ろされて、農家の飼育場に入るのです。
放牧中の豚が、野生のイノシシと自然交配します。
その交配してできた「イノブタ」が野生化してしまう場合と、農家に連れ帰られる場合とが出てきます。
従って、コルシカの山の幸は実に豊富。
イノシシのドライソーセージ。
野生化したイノブタのドライソーセージ。
家畜化したイノブタのドライソーセージ。
そして豚のソーセージ。
もちろんお肉も様々に料理されます。
(山道を自由に歩き回っているイノブタ)
海産物もとっても豊か。
その中でも特筆されるのが「オマール」です。
(オマール海老と伊勢海老)
その海老を「裏の斜面」で毟ってきた「マキ」で燻したら、馥郁たる香りで天国のような美味なのですよ。
(オマールのマキ燻し焼き)
煙をあげながら運ばれて来る銀皿に、まだ少し燃え残ってマキが残っています。
コルシカには遺跡もたくさん。
古代ローマの町の後もありますが、石器時代の要塞集合住宅跡が、小高い丘のてっぺんに残っています。
(要塞集合住宅跡)
かなり大規模なもので、地中海世界全域に見られる「から積み」(漆喰雨やセメントの目地のない)の特徴が明らかです。
それから、南イングランドや仏ブルターニュに見られる「巨石列柱文化」の遺跡もあります。
(メンヒル三姉妹)
万年雪の高山もあり、岩清水の奔流もあり、登山もよし。
人工の建造物が全くない「野生の海岸」があちこちにあって、ビーチで透明な波と戯れるもよし。
(断崖の上から見下ろした透明なブルー)
次の世代もちゃんと育っています。
(山あいの村でであったコルス・ジュニア)
みなさん、行ってみたいでしょ!?
次は、どこをご案内しようかな。。。